郵便受けに、珍しく私宛の郵便物が来ていた。
同じデザインの封書が、別の差出人から、2通。
ニッセンとセシールから……TBCの“誕生日割引チケット”というやつだった。
今月は、私の誕生日なのである。
ここ数年、顔や身体の手入れをサボり倒している。
エステなんて行ったことないけれど、ちょっと行ってみようかな。1回だけ。
毛穴引き締めコースなんてよさそう……
そこまで考えたとき、ふと、嫌な思い出が蘇った。
就職して1年経つか経たないか…って頃だった、と記憶している。
当時の呑み仲間に誘われて、いつも行くのと違う繁華街に行ってみよう、ということになった。
彼女は遊び経験豊富で呑み屋にも詳しかったから、どんなところに連れて行ってくれるのかと期待していたのだが…、「呑み屋に行く前に、ちょっと寄りたいから」と言って連れて行かれたのは、雑居ビルの一室。
何故かそこで顔のマッサージを受けることになり、それを終えた私を、その友人と担当した女性とで、誉める、誉める。
「nogiyunaちゃんって、もともとキレイだけど、マッサージしたからもう、赤ちゃんみたいな肌になったよ!」とかなんとか、冷静に考えりゃ嘘八百ってわかりそ~な台詞がぽんぽん出てきて、私はすっかり良い気分になってしまった。
何時の間にやら、翌週もそのサロンを訪れることを約束していて、次に行った時には4年のローンを組んで40万円の美顔器を契約していたのだった。
そのサロンの名前は
ベレッツアクラブという。
興味がおありなら、検索かけてみて。
マルチって出てくるから。
今でも私は賢かないが、23歳の私はマジでアホだった。
しかし、その美顔器、まるっきりのインチキというわけでもなくて、真面目にマッサージを続けていれば、それなりの効果は得られたと思う。多分。
ずっと続けていて、その効果に満足してれば、40万円も滅茶苦茶高い…というほどでもなかったろう。
まぁマルチであるからして、続けていれば、かの友人のように(今では音信不通である)、誰かを紹介することを義務付けられていたかもしれないけれど…数少ない友だちを失うような真似を、私もしていたのだろうか?
ともあれ、購入当初は(モトをとらんとして)毎日マッサージに励んでいたわけだ。
当時は自宅に親と住んでいた。
ある晩、自室でマッサージをしているところに、母親が入ってきた。
私が熱心に美顔器に向かっているのを見て、彼女は嘲った。
「ハッ! 無駄無駄、無駄な努力!」
(方向は間違っているとしても)一生懸命綺麗になろうと努力している妙齢の娘に、その言葉はないだろう。ムッときたところに、追い討ちがかかった。
「アンタはねぇ、お母さんがあんまり綺麗だもんで、嫉妬しているんだよ!」
この台詞には、説明が要る。
母は、人間の値打ちは顔(と学歴、ついでに人種…というのもあるけれど、これはまた別のハナシ)で決まるものだと信じていて、そういう教育を私に施した。
顔の悪い人間を、徹底的に見下すことを、教えた。
そして、“美人”の要素をひとつも持たずに生まれてきた娘の顔が、よほど気に入らなかったらしく、そのことを言いつづけた。
私は23年かけて、「私は顔が悪いという大きな欠陥を持っている」ことを、じっくり丁寧に、執拗に繰り返し、刷り込まれてきたのである。
ついでにいえば、それほど母が美しかったかというと、もう私には「お母さんは世界一の美女」と白雪姫の継母が鏡に言いつづけたように刷り込まれていたから正しい判断はできないが、それでも無理やり客観的に言えば、目鼻口が大きくてちょっと派手な顔立ちだが、ま、フツーのおばさんだ。
そのときの私が、母を意識して美顔器の購入を決めたかというと全くそうではなくて、いわば友人に騙されたからであり、コンプレックスをなんとかしたかった(でもそのコンプレックスをつくったのは母だよなぁ)からである。
そういう母が、私の努力――そりゃ、馬鹿なことをしたとは認めるけどさ――を、「無駄」のひとことで、一刀両断に切り捨てるってのは。
――お母さん、あなた、私の人格をなんだと思ってるの――
結局、彼女は、娘の顔が可愛くないのは気に入らない、けれども、娘が自分より美しくなるのも気に入らなかったのだ。
あのときの悔しさは、忘れられない。
TBCのチケットは、そのまま廃棄処分になった。