この春から幼稚園に通い始めた、友人のお嬢さんが、母の日に幼稚園でつくった“作品”をプレゼントしてくれたんだって。
いいなぁ~♥
長女が通う保育園は、母の日とか父の日とかのイベントはしないんだよね。祖父母対象の保育参観も、敬老の日の時期をはずして行うし。保育園――日中、子どもの世話をする大人が家にいない家庭の子どもを預かる施設――だから、母子家庭・父子家庭の子どもは少なからずいるだろうし、そういう事情を考慮しているのかなぁ。訊ねたことはないけれど。
つまり、長女が『母の日』とやらを認識するまで、何かしてもらえることはないという。ま、別にいいけどね。
母の日といえば思いだしてしまうのが、自分が母親のために“何か”したときの、母の反応。
小学生の頃だったかな。フェルトで小さなクッションをつくって、プレゼントしたことがあった。学校で裁縫を習い始めた、4年生か5年生くらいだっただろう。何を考えてしたのか、15~20cm四方くらいの小さなクッションで、何につかうのかサッパリわからんようなシロモノだったけれど、まぁとにかく母の為に一生懸命つくったわけだ。
それを受け取った母は。クドクドと説教をはじめた。
「気持ちは嬉しいんだけどねぇ。贈り物をするときは、相手がどう思うか、喜ぶかどうかをちゃんと考えるようにしなさい」
アンタの贈り物は全然嬉しくないよ、と面と向かって言われたのと同じ。
あの衝撃は忘れられない。
でも、その2~3年前。私は友だちの誕生日の贈り物を何にしようか母に相談したところ、その子の似顔絵にしなさいとの助言を得て、夜遅くまで頑張って描いたのだが、出向いたお誕生会での他の子たちの贈り物は、可愛いノートとか鉛筆とかファンシーな小物ばかりで、そんなビンボ臭いプレゼントをしたのは私だけだった。親や教師ならともかく、子どもが同級生の下手糞な似顔絵など喜ぶはずがないってことを、母は思い至らなかったのだ。
お誕生会の終わりごろ、その絵がゴミ箱に丸めて突っ込まれているのを見つけた私は、泣きながら家に帰ったのだが、それを聞いた母は「娘の気持ちを無にされた」と怒り狂っていたものだった。
並べて書くと、母の言っていることとやっていることは、滅茶苦茶だ。
大人になってからもそんなカンジで。
私が家を出た後のこと、帰省したとき、ちょうど私の誕生日の時期だったということで、母が指輪をくれた。
私の趣味には合わないデザインだったのだが(で、それを身に着けて出掛けたことは一度もないのだが)、そういうモノは喜んでみせなければならない、ということを学習していたので、兎に角にこにことお礼を言った。
その夜、何か他愛も無いことで喧嘩になって――若い頃は、ほんとによく母と喧嘩した。まだ仲が良かったのかもしれないな、今では言い争いすらしないもの――その翌朝。母は私に言った。
「あんなに良くしてやった(贈り物のことを言っているのだろう。自分で稼いだお金で買ったわけでもないのだが)のに、ギャアギャア逆らいやがって。この馬鹿。阿呆。糞ッたれ。ションベンったれ」
また別のとき。東海大地震が近いという風評をニュースなどで目にした私は、地震対策が全くなされていない実家のインテリアに不安を覚え、せめて私の部屋だけでも被害が少ない状態にしようと思った。
私の部屋の箪笥にはガラス戸がついた飾り棚が乗っているのだが、ただ乗せているだけで固定されているわけではないので、大きな揺れがきたら落ちて粉々になるだろう。だから、飾り棚を床に下ろして、ガラス戸には飛散防止にセロテープを貼り巡らせておいた。
数ヵ月後に帰省したとき、その飾り棚はもとの状態、箪笥の上に戻っており、母は私にこう言った。
「あんなことしたら、掃除機かけるときにぶつかって邪魔じゃないか。いらんことしやがって、馬鹿、阿呆、糞ッたれ、ションベンったれ」
「地震で倒れたら、お母さんが怪我して危ないと思ってしたんじゃないの」
「そんなもん、アンタが帰って来るまで放っとくに決まってるじゃないか。アンタが全部ひとりで片付けるんだよ、馬鹿、阿呆、糞ッたれ」
こんなに下品な人間から生まれたことを、心から恥ずかしく思う。お礼を言われたいとは思っていなかったけれど、「糞ッたれ」はないだろう。
そんなこんなで。
私は母のために何かしてあげたい、という気持ちを、今では微塵も持ち合わせていないし、その“気持ち”を打ち砕いたのは母自身。また、母から何かしてもらいたいとも思わない。
この先、娘たちが私のために何かしてくれるようになったら。
私はどう反応したら良いのか、改めて考えると見当がつかないなぁ。
また逆に、私と同じように「おかあさんの為になんて、何もしたくないわ」なんて言われたりして。う~ん有り得る。
ま、そこまで生意気な口が利けるくらい、たくましく成長してくれるなら、それはそれで、いいか。