当初、全13回って番組サイトに載っていたのに、14回越えた今でもまだ放映されている(今週はオリンピック特番でお休みだったけれど)。
延長されたのかな。嬉しいな。
知っているお話のときはいいんだけれど、知らないお話の場合、「これは“笑いばなし”なのか? “悲しいお話”なのか? “ほのぼの”なのか?」と身構えてしまう。
笑いばなしならいいんだけどさー、悲しいお話だと、ついもらい泣きしちゃうんだもんな。40歳近くにもなって、アニメ観て泣くなよってカンジなんですが。市原悦子と常田富士男が上手過ぎるってことにしておこう。
今日は仕事が休みだったので、家で娘と過ごしたのだが、食事の支度をしている間、娘にビデオを観せていた。
『キジもなかずば』――貧しい父娘がいて、父親が病気の娘・千代のためにたった一度だけ盗みを働いた、それを千代が手毬唄に唄ってしまったため罪が露見し、洪水を鎮めるための人柱になってしまった。千代は嘆き悲しみ、数年後行方知れずになったが、あるとき狩に出た村人の前にふらりと現れ、撃たれたキジを抱いて「キジも鳴かずばうたれまい」とつぶやいて立ち去った――『チャングムの誓い』の冒頭にもそんなエピソードがあったなぁ。
で、そのお話の後半、千代が「おとう、おとう!」と泣き叫ぶ場面で、内容を理解していない娘が無邪気に
「おとうはー?」
と訊く。
死んじゃったんだよ、とも言えず(わかんないだろうから)「いなくなっちゃったよ」と答えるも、やはりよく理解できなかったらしく、千代の「おとう!」という泣き声にあわせて何度も「おとうはー?」と訊くのだ。
ううう。
何度も答えるうち、胸が詰まって声が震えた。
物語の主人公が可哀想、というより、何年か後に娘がこういう話の内容を理解できたとき、どれだけ悲しい思いをするだろうか、と、それを考えるとたまらなくせつない。
できれば、世の中のどんな悲しいことからも――たとえフィクションであっても――娘を守ってやりたい。楽しいことばかりを経験させてやりたい。
けれども、そんなわけにはいかないんだよなー。
で、また、悲しいお話を聞いて悲しい気持ちになってもらわないと、困るんだよな、ひととして。