最近、嫁姑問題を愚痴りあう掲示板に出入りしています。
っつっても、決して義母の悪口を書き込むためじゃありません。…何もないといえば嘘になるけれど、あそこの書き込み読むと、「ウチって平和ー♥」「
あの程度のコトでカリカリ怒っていちゃダメだわ、もっとヒドい目にあっているひとは、たくさんいるのだから」と、自分のシアワセを再認識できるから(爆)。
あ、実際に悩んでおられる方、ごめんなさい。
先日新聞で(いつの記事か忘れちゃった)、少子化対策に関する読者投稿の欄があって、――そーゆーテーマの記事は多いよね最近。で、必ずひとつやふたつは「親と同居して、親に(自分の)子どもの面倒をみてもらうようにすれば、安心して産めるだろう」とか「大家族のよさ」とかの意見が載せられるんだよね。先日読んだ記事には、「同居手当を支給してはどうか」ってあったんだよ。
それはさ、嫁姑間に全く、なーんにもトラブルがない場合は良いわよね。でも実際、どうだろう。
現在子育てしている、我々の世代って、親とか義両親とかと意見が合わなかったり厳しい仕打ちを受けたりしたとき、涙をのんでじっと耐える…ってな育ち方はしていないんじゃないかな。
で、我々の親の世代も、孫の世話に滅私奉公してくれる世代じゃないのでは。娯楽も経済も、彼らの子育て時代よりずっと豊かになっているからねぇ。
我が家は親と同居する予定はないのだけれど、万が一にも“無い”とは言い切れない。でもね、たまに義母が来てくれたとき、家のことを手伝おうとして…くれるのは有難い…と思わなくちゃいけないんだろうけれど、頼みもしないのに勝手に洗濯物取り込まれたり、かけなおしたりされるのは、とっても嫌、なのね。やり方が違うから。
(だいぶ前、ハンガーに吊るしてあった私の生理用ショーツが、義母によってかけなおされていた――ピンチ1本で逆さに吊るしてあったのを、広げて2本で上向きに吊るしなおしてあったんだよ。ウチのベランダは外から丸見えだから、下着は極力カタチをわかりにくく吊るすようにしているのに、わざわざ「ここに女物パンツがありますっ!」ってな吊るし方にしてあったわけ。――それが滅茶苦茶嫌で、でも抗議することもできず、結局義母の来る日は洗濯をしないようになってしまった。)
実家のお勝手とか居間の様子を見ても、「このひとと家事を共有することはできないな(もしくは、大きな努力が必要だな)」と、強く思います。
こんな細かいことでも、耐えられないときは耐えられないし、塵も積もれば山のよーなトラブルのモトになってしまうわけ。
なので、気軽に「おばーちゃんに子どもの面倒みてもらえばいいじゃん」と言い切っちゃうのは、――そりゃ、そうしているひとは大勢いるだろうし、それで円満に暮らしているひとも大勢いるんでしょうけれど、やっぱ、一般論にはちょっと。
少子化モンダイの解決にはならないと思います。