無事、高速バスに乗った。
三宮駅では少し迷い、バスターミナルへの案内表示を求めてウロウロしてしまったから、トイレに行きそびれた。保つかな? どうしても無理なら、車内のトイレを使おう。
電車バスを乗り継いで遠出をするときは、大概連れのひとが手配してくれたものだけれど、今回は一人旅。昨日は行程計画とバス予約に相当な時間を費やしてしまった。
学生の頃、友だちとふたりで旅行したときは、父が時刻表を調べて行程表をつくってくれた。切符も買って来てくれた、ような気がする。あの口下手な父に、どうやって頼み事をしたのか覚えていないのだけれど、父が書いた行程表の、あの癖の強い文字は、うっすらと目に浮かぶ。
今はGoogle先生が一瞬で答を出してくれる。父が聞いたらどう思うだろう。たぶん、時刻表を捲って目当ての列車を探しあて、最適な行程を組み上げる作業って、結構楽しいものだったんじゃないかと思うのだけど。
さて。
計画通り、開館から閉館まで、美術館に滞在したわけだ。
正確には、閉館15分前には出ちゃったけど…何しろ、閉館の8分後にはバスが出発するから、不安になっちゃったんだよね…、いやぁ、頑張った。ほぼ休憩せず、ひたすら絵を見て、音声ガイドを聴き、歩き回ったのでした。
たっのしかった、なあ!
見たことがある絵も多数あって(また会えたね)、恐らく日本に展覧会の為に持ってこられたり、所有する美術館の目玉作品として有名だったりする絵を中心に展示されている筈だから、さもありなん、だけれど、やっぱ、嬉しい。
バチカンのシスティナ礼拝堂に行ったときは、この『天地創造』を見るために遥々海を渡って来たのだと、本当に嬉しかったものだけれど、今は片道3時間で見られちゃう。少し複雑な気分になる。所詮ぱちもんじゃないかと言われればその通りで、確かに本物(30年前の記憶だけどさ)とは違うのだ。
勿論それは当たり前。でもここまで本物そっくりの作品を、これだけ大量に揃えた技術と熱意には心から敬意を表したい。
ここは、壮大な、実物大の“画集”なのだから。
入ってから2〜3時間経つ頃には、脚が痺れてきたけれど。兎に角次の絵、更に次の絵を見たくて。
本当は全部の絵の解説も読みたかったのだけれど、それは時間が足りなくなるだろうと思い断念。気になったものだけナナメ読みした。それでも矢張り時間は足りなくて、最後の最後のほう、現代美術の辺りは大分飛ばした。惜しいなあ。
もひとつ惜しいのは、順路が分かりにくくて何度も迷ったこと(なので“ゴヤの家”を飛ばして次のフロアに行ってしまい、最後まで見てから気付いて慌てて戻った。も少しじっくり見たかった)、食事をするところがクソ高く混んでるカフェ(レストランともう一軒あるカフェは土日祝のみ営業)しかなく、持ち込んだ弁当を食べるところがなさそうなところだ(後からフロアガイドをよく見たら、本館の屋上にオープンスペースがあったけれど、今回は立ち入らなかったので食事できるかわからないし、そもそも炎天下の日向では休憩できない)。美術館を出て、徒歩10分弱の鳴門公園に行けば、食べ物も売っているし涼しく座れる場所もあるけれど、時間が勿体ないものね。
来年また来よう。
今度は、真っ先にフェルメールを見て、それからB1に上がってバロック以降をじっくり見よう。
楽しみだなぁ。
それまで、解雇されたり災害に遭ったりしませんように。